岩元 綾さんスピーチ「私のこれまで」日本語訳

1998/05/08 岩元 綾

皆さん、こんにちわ!私は日本から来た岩元綾です。私は皆さんに会えてうれしいです。

私は今年の3月20日に鹿児島女子大学の英語英文学科を卒業しました。卒業式は私の人生の中で決して忘れることはできない最良の日でした。私はとてもうれしかったです。でも、私は新聞記者やカメラマンがたくさん来て当惑しました。

学部の代表が学位記を受け取った後、鹿児島女子大学の学長である砂川先生が卒業生に対して祝辞を述べられました。砂川学長は、このスピ-チの中で私のことについて触れられ、「この卒業生の中に岩元綾さんがいることはとてもすばらしいことです。彼女のひたむきな姿は多くの学友たちに深い感動と勇気を与えました。さらに同じハンデイ を持っている人達に希望と勇気を与えたに違いありません。彼女の努力は素晴らしいものです。彼女の勉学に助力できたことは私たちの誇りです。」と話されました。

私は砂川学長の言葉に深く感動し、涙が出てきました。両親も涙を流していました。私は今、司書の資格を取るために母校の鹿児島女子大学に通っています。静かな図書館で司書になることが私の夢です。またフランス語も勉強しています。私はフランスにあるル-ヴル美術館やオルセ-美術館に絵を見に行きたいです。私の趣味は音楽鑑賞と辞書引きです。

今日は、私の生い立ちの本について話そうと思います。私の両親は1998年1月25日に「走り来れよ、吾子よ」という本を出版しました。母と父は私の誕生から鹿児島女子大学入学までのことについて書き、私は本の最後に感想を書きました。

私は生まれた時から病気がちで、両親は非常に困っていました。私は病気のことをあまりよく知らずに育ってきました。私が大学二年の時に、私は自分が障害を持っていることを知りました。私はNHKのテレビでダウン症についての番組を見ながら、父にそのことを尋ねたところ、私がダウン症であることを告げられました。私はそのことについてはかすかに感じていましたが、大変ショックを受けました。頭の中が真っ白でした。

それから私は母が私の病気のことについてワ-プロで打っているのを見ました。私はとても驚いて、信じたくはありませんでした。とても悲しかったです。私は両親が私の生い立ちの本を出版して、病気のこと、家族のことを公表することを知りました。私は不安で、自分の病気を公表して欲しくないと思いました。悲しくて泣き崩れました。父と母は、「綾はこれまで素晴らしい人生を歩んで来たんだ。怯むことはない。卑屈になることはない。胸を張って誇らしく生きなさい。」と言いました。

私は自分の悩みを鹿児島市にある、児童総合相談センタ-に勤務しておられる医師の田中先生に話してみました。先生は、「あなたの障害について皆に話すことはとても大切なことです。」と言われました。最初、私は皆んなに本当のことを言うのができないと思っていましたが、先生の言葉に励まされ、本当のことを話す決心をしました。その上、私の親戚や両親の友人が私を励ましてくれました。私はもう何も怖がることはなく、真実を隠す必要はないと思いました。私は両親が出版するこの本を多くの人達に読んでもらい、そして障害者の気持ちを理解してほしいと思いました。

本はついに出版されました。その本にはバラのカバ-がしてあり、とても美しかったです。私はとても気に入りました。私たちの本が出版されてからまもなく、私たち家族と本の記事が朝日新聞や読売新聞、毎日新聞、南日本新聞、西日本新聞など、その他の新聞に掲載されました。

私たちは日本各地から手紙や電話をもらいました。いろんな人達が、「あなたたちの本に感動しました」、「あなたは私に勇気をくれました」、「この本を読んで涙が止まりませんでした」そして「前途に光を見い出しました」などと言っています。

私たちはこのような人々のメッセ-ジに励まされました。両親がこの本を出版してよかったと思っています。私はまた障害を持っている子どもたちのために働きたいと思っています。私にはまだたくさんの夢があります。今の日本ではダウン症に対して浅い考えや偏見を持っている人々がたくさんいます。それは悲しいことです。人生は短いです。でも、かけがえのないものです。だから私は希望や夢をあきらめません。私を支えて下さった多くの人々に感謝しています。そして両親には「私を産んでくれてありがとう」と言いたいです。

ご静聴有り難うございました。